2016年11月06日

レポート:豊臣秀次公縁の「瑞泉寺」寺宝展

2016年秋、豊臣秀次公とご一族・家臣の菩提を供養している京都「瑞泉寺」さまにて寺宝展が開催されました。
秀次公縁起」「瑞泉寺裂(きれ)」「瑞泉寺絵縁起」など貴重なものを拝見いたしましたので、レポートいたします。

komahimesama.jpg

戦国時代に天下統一を果たした豊臣秀吉
そのご一族といえば、先ずは大坂城の秀頼公、そして秀吉を支えた実弟秀長公が思い浮かぶのではないでしょうか?
比べて秀次公の名があまり知られていないのは、残酷な運命を辿ったその悲惨なイメージ故かも知れません。

2016年、私のblogではお馴染み大河ドラマ「真田丸」に登場した豊臣秀次が人気を博しました。
従来の秀次公のイメージを覆す爽やかでナイーブなキャラクターと、新説に基づいた脚本で一躍話題になったのがこの夏頃の事。
そしてこの秋、秀次公を弔うお寺での「秀次公縁起」公開ということで、楽しみにしておりました
(※内容が重いので文字通り楽しみ、という訳ではないのですが…)

今回は寺宝展で拝見したお宝について述べながら、豊臣秀次公とそのご一族の物語をお伝えしたく思います。

丸絵秀次.jpg

■京都「瑞泉寺」
慈舟山 瑞泉寺さまは三条大橋のすぐ近く木屋町にございます。
繁華街の喧噪から逃れた静かなスポット、そこに秀次公とご一族の墓所があるのです。
この辺りは京都で最も人が賑わう河原町、京都で青春を過ごした者にはなじみ深い所で、私なども良く存じている場所なのですが、こちらのお寺にそのような縁があるということを知ったのは歴史に深く興味を持つようになってからでした。

お寺についての詳細は公式ホームページをご覧下さい。
慈舟山 瑞泉寺

■瑞泉寺寺宝展
瑞泉寺寺宝展〜平成28年度 秋期京都非公開文化財特別公開。
お寺ブログより抜粋いたしますと、
秀次事件の顛末を描いた「秀次公縁起」や秀次公愛用の品々を400年前に事件の起こったその場所、瑞泉寺で味わう貴重な期間となります、との事でした。
また、寺宝は普段、博物館や資料館に寄託しており、瑞泉寺で一同に会して展示公開されるのは、ほぼ100年ぶりのことだそうです。

そんなわけで、寺宝展は平日でも大勢の人が訪れておりました。
特に瑞泉寺裂は、不遇に見舞われた人々の遺品ともいうべき物で、皆さん拝むように拝見していたのが印象的でした。

展示内容は、瑞泉寺さまがお寺ブログにて詳しく記事(100年ぶりの寺宝展について・寺宝の紹介など)にされておりますので、ぜひご覧下さい。
瑞泉寺さまお寺ブログ

■秀次公縁起
世に言う「秀次事件」の顛末を描いた絵巻物(一巻)作者成立時共に不詳、江戸初期のものでまだ秀次公が悪逆非道の殺生関白として描かれていないという事です。

秀次公は叔父豊臣秀吉の跡を継ぎ、京都聚楽第にて豊臣政権二代目の関白を務めた人物ですが、後に秀吉から謀反を疑われ関白の職を剥がれて高野山に追放されました。
秀吉に実子秀頼(淀殿の子)が誕生したため疎まれたと言われていますが、秀次事件に連座して多くの実力者が処罰されるなど、政治的粛正が背景にあったようです。
その後、賜死を命じられた秀次公は高野山にて切腹、家来5人が殉死。さらに秀次公の一族30余人が処刑されました。

この痛ましい事件の事の次第を描いたのが「秀次公縁起」
金箔を施した豪華な絵巻物で、後世(江戸初期)に特別な思いで作られたものであろうということです。


■瑞泉寺裂
高野山にて切腹された秀次公のお首は、反逆人として三条河原で梟首(さらし首)されましたが、その時に秀次公のご一族である妻と側室、まだ幼かったという子も含め30余人が打首の刑に処されました。
その時に詠まれたという辞世の和歌懐紙を、彼女たちが着用していた小袖などの裂で表装したものが、通称「瑞泉寺裂」だそうです。

秀次に最も寵愛を受けていた妻(前大納言菊亭晴季の娘など)でも2〜30代程、側室はほぼ10代の若い娘達であったでしょうか。突然訪れた酷い運命に果たしてどのような思いでこれらの歌を残されたのか…。

残されたお歌、直筆なのでしょうか?流麗に書かれたかなの美しさ、そして安土桃山時代の豪華極まる刺繍の小袖。
余りにも美しい作りにただただ見とれてしまいました。
純粋に美術品として美しいのですが、そこに過酷な運命を辿った姫君達の遺品という重い事実が在ることで、なお感極まります。
その事に複雑な思いを持たざるを得ません。芸術とは時に残酷なものです…。

komahimesama.jpg

駒姫と名が残る最上家の娘 お伊万(満)の方は、輿入れし上京したばかりで秀次に会う事もないまま処刑に加えられたという悲劇の姫だそうです。


■瑞泉寺縁起
三条河原に築かれた首塚は「秀次悪逆塚」と称され、かえりみる者無く、後に鴨川の洪水で流出してしまったといいます。
そして徳川の世になった直ぐの頃(江戸時代初期)京都の豪商 角倉了以(すみのくらりょうい)が私財を投じて高瀬川を開削中、荒れ果てた秀次公御一族の塚を発見。
その菩提を弔う為江戸幕府の許可を得て瑞泉寺を建立されました。
その経緯、瑞泉寺さまの起源を描いた画帳が「瑞泉寺縁起」だそうです。

ここに描かれていた塚は、三条大橋のほど近く。まさに今このお寺から見える風景だと思い窓の外を眺めました。同じく外を眺める人が多くおられたように思います。

寺宝はその他、秀次公縁の雅な品々、瑞泉寺歴代住職の御影など。
秀次公と御一族肖像画という3服のお軸には、若くして命を絶たれた女性・子ども達が、面影も割と写実的かつ美しく描かれておりました。
流麗な書も含めて風雅な一枚のグラフィックとして仕上がっていて、ご遺影ではありますが、古典絵画はなんて気品があって美しいのだろう、と思います。

これらは普段目にする事が出来ない物。じっくり拝見させて頂いた後は、境内のお墓に参り改めてご一族に手を合わせました。
秀次公の御首を納めたという「石びつ」や供養のための五輪石塔、ご一族に引導を授けたという「地蔵菩薩立像」などがございます。
処刑が行われたという場所には現在本堂が建ち阿弥陀如来が安置されています。
昭和初期に関西財界人の発起で整備されたという地蔵堂。こういった歴史的な遺産は時を越えて人々に引き継がれて行くのですね。

境内.jpg

私も本当に微力ながら、頑張ってこの記事を書きました(単なる歴史好き・豊臣好きなだけです・秀次事件は豊臣の強烈な黒歴史ですが…これも事実として受け止めなくてはなりません)
情報はお寺ブログの記事などを元にしております。
興味を持たれた方は、ぜひ一度お参りに訪れて見て下さい。
慈舟山 瑞泉寺

因みにほど近くの寺町御池には「本能寺」がございます(本能寺の変の場所ではありませんが)
またすぐ近くには坂本龍馬が潜伏した酢屋、新撰組で有名な池田屋跡(現在は居酒屋)などあり幕末の大変濃いスポットでもあります。
以前、この近辺を紹介した記事があります。

culyawa_48.jpg
第四十八夜 〜京都幕末聖地巡礼

また、京都には、豊臣秀吉さん縁の場所も少なからずございます。
秀吉さんが建立した幻の「京の大仏」のお話し

IMG_4771-thumbnail2.JPG
京の大仏・豊臣秀吉と京都

最近(ドラマを期に)山頂にあります秀吉さんのお墓参りもしてきました。こちらはまだ記事にできておりませんがいずれ。私、単なる秀吉スキーですね(´ω`)

そして、瑞泉寺ご住職 中川 学さんは、イラストレーターとして活躍されておられます。
うちの番組に来られたこの時は、瑞泉寺のお話しもして下さいました。
それにしてもご自分のお家に大事な歴史的遺産が在るというのは大変なことですよね…頑張って下さいませ。

culyawa_47.jpg
第四十七夜 〜イラストレーター中川 学さん

御朱印.jpg

月与志site
http://tsuyoshi-jp.com

Facebook Artist page「月与志」
http://www.facebook.com/tsuyoshi.art
posted by 月与志(tsuyoshi-jp) at 23:17| Comment(0) | 歴史

2014年11月27日

京の大仏・豊臣秀吉と京都

先日の京都国立博物館での鳥獣人物戯画の帰りに、すぐ近所の豊国神社を参詣しました。
かつてこちらに「京の大仏」がいらっしゃたという事です。

IMG_4771.JPG

大仏といえば「奈良」東大寺の大仏さんは日本の宝だと思いますが、
実は全国各地にも大仏さんはいらっしゃるんですねぇ。

とくに「京の大仏」さんは、奈良・鎌倉と並んで、日本三大大仏に数えられていたそうですが、今はその姿を留めてはいません。存在を知ったのも最近の事です。

「京の大仏」さんを建立したのは、あの天下人、豊臣秀吉でした。
幾度の天災で、姿形を変えながらも受け継がれていたのですが、およそ四十年ほど前に消失し、今や忘れ去られようとしているのかもしれません。
この話はぜひ留めておきたいと思い取り上げました。

かつて「京の大仏」がおわしました所にあるのが、豊臣秀吉を祀る豊国神社です。
秀吉を祀る豊国神社は全国にありますが(大阪城公園、滋賀県長浜市、出身地の名古屋市などにも豊国神社が存在)京都のこちらは、すぐ近くに豊臣秀吉ご本人が眠る豊国廟(ほうこくびょう)がある所です。

こちらは大正時代の地図を模写したもの。

IMG_4774.JPG

大仏があった名残を示す地名が残ります。

IMG_4662.JPG

立派な唐門は、豊国神社再建に当たって金地院から移築されました。元は二条城、その前は伏見城にあったとも伝わるそうです。

IMG_4659.JPG

大阪のイメージが強い秀吉さんですが、実は京都に縁の深い方でも合ったのです。
天下人となった後、応仁の乱以降荒廃した京の都を再建されました。

IMG_4770.JPG

西本願寺飛雲閣(伝聚楽第遺構)

その時、京の都と世の泰平を祈願して、京都に大仏を建立しました。
当時、奈良の大仏は焼き討ちで消失していたそうです。
しかし、大仏完成のわずか1年後、慶長元年の大地震で大仏は倒壊してしまいました。

IMG_4653.JPG

その後、秀吉の子豊臣秀頼が遺志を継ぎましたが、大仏殿のある方広寺の梵鐘が原因となり、大坂の役による豊臣家滅亡を招きました(世に言う「方広寺鐘銘事件」)
江戸時代も、京の大仏さんは引き継がれましたが、幾度か消失と再建を繰り返し、
昭和48年(1973年)に火災で焼失。

昭和ですからつい最近の事。昔みたよという人はまだまだ多くいらっしゃるようですが、年とともに忘れ去られていくかもしれません。
京の大仏さん、復活の未来を願い、この話を広めていければと思います。

大仏.png

詳しいお話しは、月与志のカルチャー夜話でお伝えしておりますので、ぜひご覧下さい。
月与志のカルチャー夜話 第四十五夜 〜墨絵の金字塔、鳥獣人物戯画/京の大仏

月与志site
http://tsuyoshi-jp.com

Facebook Artist page「月与志」
http://www.facebook.com/tsuyoshi.art

月与志のカルチャー夜話
http://tsuyoshi-jp.com/activity/media/culture_yawa.html
posted by 月与志(tsuyoshi-jp) at 00:15| Comment(0) | 歴史

2013年05月11日

古都に学ぶ〜京都七条

GWは久しぶりの京都へ。

945018_3009740219960_1463037682_n.jpg

【泉涌寺】
皇室の菩提寺として「御寺(みてら)と呼ばれているという泉涌寺 (せんにゅうじ)
今年のファッションカンタータの会場です。

947276_3009740339963_796457953_n.jpg

楊貴妃観音像(重文)は美人祈願に訪れる女性が後を絶たないそうです。
妖艶な色と形の品種、楊貴妃桜とはよく言ったものです。

943523_3009715019330_1436848460_n.jpg

端午の節句が主題の生け花でしょうか。
季節のつつじ、菖蒲。
水面を湛える花器の斬新さにおお!っと唸りました。

946440_3011646307611_15036461_n.jpg

泉涌寺近く、陶芸家さんのアトリエを訪ねました。
清水焼の伝統を引き継ぎながら、このように現代的でファッショナブルな器をつくってしまわれる、京都の感性には学ぶことが多いですね。

486712_3009760620470_1616052654_n.jpg

【豊國神社】
敬愛する豊臣秀吉を祀る豊國神社を参拝。
唐門(国宝)は伏見城の移築と伝えられ、桃山文化の華麗を伝えてくれます。

あまり知られてませんが、かつて京都にも大仏様がいらっしゃったそうです。
「京の大仏」は現存せず、大仏殿跡地に豊國神社が再建されました。

この後、京都国立博物館で特別展開催中の「狩野山楽・山雪」へ。


Facebook Artist page「月与志」
http://www.facebook.com/tsuyoshi.art

月与志site http://tsuyoshi-jp.sakura.ne.jp/
タグ:京都
posted by 月与志(tsuyoshi-jp) at 00:29| Comment(0) | 歴史