「秀次公縁起」「瑞泉寺裂(きれ)」「瑞泉寺絵縁起」など貴重なものを拝見いたしましたので、レポートいたします。

戦国時代に天下統一を果たした豊臣秀吉。
そのご一族といえば、先ずは大坂城の秀頼公、そして秀吉を支えた実弟秀長公が思い浮かぶのではないでしょうか?
比べて秀次公の名があまり知られていないのは、残酷な運命を辿ったその悲惨なイメージ故かも知れません。
2016年、私のblogではお馴染み大河ドラマ「真田丸」に登場した豊臣秀次が人気を博しました。
従来の秀次公のイメージを覆す爽やかでナイーブなキャラクターと、新説に基づいた脚本で一躍話題になったのがこの夏頃の事。
そしてこの秋、秀次公を弔うお寺での「秀次公縁起」公開ということで、楽しみにしておりました
(※内容が重いので文字通り楽しみ、という訳ではないのですが…)
今回は寺宝展で拝見したお宝について述べながら、豊臣秀次公とそのご一族の物語をお伝えしたく思います。

■京都「瑞泉寺」
慈舟山 瑞泉寺さまは三条大橋のすぐ近く木屋町にございます。
繁華街の喧噪から逃れた静かなスポット、そこに秀次公とご一族の墓所があるのです。
この辺りは京都で最も人が賑わう河原町、京都で青春を過ごした者にはなじみ深い所で、私なども良く存じている場所なのですが、こちらのお寺にそのような縁があるということを知ったのは歴史に深く興味を持つようになってからでした。
お寺についての詳細は公式ホームページをご覧下さい。
→慈舟山 瑞泉寺
■瑞泉寺寺宝展
瑞泉寺寺宝展〜平成28年度 秋期京都非公開文化財特別公開。
お寺ブログより抜粋いたしますと、
秀次事件の顛末を描いた「秀次公縁起」や秀次公愛用の品々を400年前に事件の起こったその場所、瑞泉寺で味わう貴重な期間となります、との事でした。
また、寺宝は普段、博物館や資料館に寄託しており、瑞泉寺で一同に会して展示公開されるのは、ほぼ100年ぶりのことだそうです。
そんなわけで、寺宝展は平日でも大勢の人が訪れておりました。
特に瑞泉寺裂は、不遇に見舞われた人々の遺品ともいうべき物で、皆さん拝むように拝見していたのが印象的でした。
展示内容は、瑞泉寺さまがお寺ブログにて詳しく記事(100年ぶりの寺宝展について・寺宝の紹介など)にされておりますので、ぜひご覧下さい。
→瑞泉寺さまお寺ブログ
■秀次公縁起
世に言う「秀次事件」の顛末を描いた絵巻物(一巻)作者成立時共に不詳、江戸初期のものでまだ秀次公が悪逆非道の殺生関白として描かれていないという事です。
秀次公は叔父豊臣秀吉の跡を継ぎ、京都聚楽第にて豊臣政権二代目の関白を務めた人物ですが、後に秀吉から謀反を疑われ関白の職を剥がれて高野山に追放されました。
秀吉に実子秀頼(淀殿の子)が誕生したため疎まれたと言われていますが、秀次事件に連座して多くの実力者が処罰されるなど、政治的粛正が背景にあったようです。
その後、賜死を命じられた秀次公は高野山にて切腹、家来5人が殉死。さらに秀次公の一族30余人が処刑されました。
この痛ましい事件の事の次第を描いたのが「秀次公縁起」
金箔を施した豪華な絵巻物で、後世(江戸初期)に特別な思いで作られたものであろうということです。
■瑞泉寺裂
高野山にて切腹された秀次公のお首は、反逆人として三条河原で梟首(さらし首)されましたが、その時に秀次公のご一族である妻と側室、まだ幼かったという子も含め30余人が打首の刑に処されました。
その時に詠まれたという辞世の和歌懐紙を、彼女たちが着用していた小袖などの裂で表装したものが、通称「瑞泉寺裂」だそうです。
秀次に最も寵愛を受けていた妻(前大納言菊亭晴季の娘など)でも2〜30代程、側室はほぼ10代の若い娘達であったでしょうか。突然訪れた酷い運命に果たしてどのような思いでこれらの歌を残されたのか…。
残されたお歌、直筆なのでしょうか?流麗に書かれたかなの美しさ、そして安土桃山時代の豪華極まる刺繍の小袖。
余りにも美しい作りにただただ見とれてしまいました。
純粋に美術品として美しいのですが、そこに過酷な運命を辿った姫君達の遺品という重い事実が在ることで、なお感極まります。
その事に複雑な思いを持たざるを得ません。芸術とは時に残酷なものです…。

駒姫と名が残る最上家の娘 お伊万(満)の方は、輿入れし上京したばかりで秀次に会う事もないまま処刑に加えられたという悲劇の姫だそうです。
■瑞泉寺縁起
三条河原に築かれた首塚は「秀次悪逆塚」と称され、かえりみる者無く、後に鴨川の洪水で流出してしまったといいます。
そして徳川の世になった直ぐの頃(江戸時代初期)京都の豪商 角倉了以(すみのくらりょうい)が私財を投じて高瀬川を開削中、荒れ果てた秀次公御一族の塚を発見。
その菩提を弔う為江戸幕府の許可を得て瑞泉寺を建立されました。
その経緯、瑞泉寺さまの起源を描いた画帳が「瑞泉寺縁起」だそうです。
ここに描かれていた塚は、三条大橋のほど近く。まさに今このお寺から見える風景だと思い窓の外を眺めました。同じく外を眺める人が多くおられたように思います。
寺宝はその他、秀次公縁の雅な品々、瑞泉寺歴代住職の御影など。
秀次公と御一族肖像画という3服のお軸には、若くして命を絶たれた女性・子ども達が、面影も割と写実的かつ美しく描かれておりました。
流麗な書も含めて風雅な一枚のグラフィックとして仕上がっていて、ご遺影ではありますが、古典絵画はなんて気品があって美しいのだろう、と思います。
これらは普段目にする事が出来ない物。じっくり拝見させて頂いた後は、境内のお墓に参り改めてご一族に手を合わせました。
秀次公の御首を納めたという「石びつ」や供養のための五輪石塔、ご一族に引導を授けたという「地蔵菩薩立像」などがございます。
処刑が行われたという場所には現在本堂が建ち阿弥陀如来が安置されています。
昭和初期に関西財界人の発起で整備されたという地蔵堂。こういった歴史的な遺産は時を越えて人々に引き継がれて行くのですね。

私も本当に微力ながら、頑張ってこの記事を書きました(単なる歴史好き・豊臣好きなだけです・秀次事件は豊臣の強烈な黒歴史ですが…これも事実として受け止めなくてはなりません)
情報はお寺ブログの記事などを元にしております。
興味を持たれた方は、ぜひ一度お参りに訪れて見て下さい。
→慈舟山 瑞泉寺
因みにほど近くの寺町御池には「本能寺」がございます(本能寺の変の場所ではありませんが)
またすぐ近くには坂本龍馬が潜伏した酢屋、新撰組で有名な池田屋跡(現在は居酒屋)などあり幕末の大変濃いスポットでもあります。
以前、この近辺を紹介した記事があります。

→第四十八夜 〜京都幕末聖地巡礼
また、京都には、豊臣秀吉さん縁の場所も少なからずございます。
秀吉さんが建立した幻の「京の大仏」のお話し
→京の大仏・豊臣秀吉と京都
最近(ドラマを期に)山頂にあります秀吉さんのお墓参りもしてきました。こちらはまだ記事にできておりませんがいずれ。私、単なる秀吉スキーですね(´ω`)
そして、瑞泉寺ご住職 中川 学さんは、イラストレーターとして活躍されておられます。
うちの番組に来られたこの時は、瑞泉寺のお話しもして下さいました。
それにしてもご自分のお家に大事な歴史的遺産が在るというのは大変なことですよね…頑張って下さいませ。

→第四十七夜 〜イラストレーター中川 学さん

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