2018年12月05日

墨絵アートてぬぐい〜龍田川紅葉

竜田川紅葉.JPG

嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり〜能因法師

先日、葛城山に登ってきました。
舞い落ちた色とりどりのが敷き詰められた道は素敵でした。

頂上にたどり着いたら、紅葉の木々、すすきの草原と、遥か彼方の雲海が眺められ気持ちよかったです。
この感動を絵に表現して作品づくりに生かしたい、と思い構想を練った作品です。

えーぶっちゃけ三室山には登ってませんw
ですが「千早ふる 神代も聞かず 龍田川〜」と詠んだ在原業平も現地を訪れてない(屏風に描かれた紅葉を見て詠んだとか)そうなのでまぁいいでしょ(´ω`)←いいかげん


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「三室山」「龍田川」は「紅葉」の歌枕なので、イメージの世界ということで。
とはいいながらご近所ですしね、またいずれ竜田川へ紅葉狩りに訪れてみようっと。

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秋のおでかけスケッチで、伏見稲荷神社を訪れました。
伏見稲荷は子どもの頃から知っていたけれど、訪れたのは初めてで、なんと山頂にあるとか知らなかった。
ちょっとした登山になってしまいスケッチどころではなかったのですが。

伏見稲荷_1.jpg

登頂後なんと、この数年煩っていた症状が治りまして!ありがたい御利益があったのか、たんに運動不足が解消されたからか、とにかくプチ登山に目覚めた、というわけです。

それに山中では木々花々を沢山鑑賞できますしね。
葛城山も、春はつつじ・片栗の花・ショウジョウバカマが楽しみです。


この秋は「秋の七草」を写生しておりました。
おでかけスケッチ〜秋の草花

墨絵アートてぬぐい〜紅葉に鹿


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秋の七草のひとつ、(くず・かずら)大和国吉野国栖が名の由来とも。
すすきと共によく見かける草だけど花は葉裏に隠れるように咲くので印象が薄い。
裏見草という別名から「恨み」に掛けた歌が詠まれる。
おなじみ狐が化ける時に頭にのっける葉がくずらしい(由来は安倍晴明の母狐)
根は巨大に育ち、くず餅や葛根湯になる。繁殖力が非常に強く海外では侵略的外来種扱い。
とまぁ意外にエピソードの多い草花でした。身近なのに全然知らなかったなぁ。


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秋の七草 最後は「あさがお
万葉集で詠まれた「朝貌の花」は桔梗と目されているようです。
時代によって「あさがお」が指す品種は異なるらしい。
星形の花はとても特徴的、そこから意匠された桔梗紋は美しいですね(明智光秀で有名)
風船のようなつぼみから英名はバルーンフラワー。白色や桃色もあり。
愛好家が多いのでしょう割とよくみかけるのですが…絶滅危惧種なんですね。

とりあえず、秋の間に七草スケッチが終えられてよかったよかった。絵づくりにとても役立ちます。


山上憶良が詠んだ秋の七草に因んで、毎回和歌をへたっぴながら書き添えて練習していたのですが。
和歌かな文字の雅な世界にちょっとハマってきました。

日本において「文学」の中心はいつも「和歌」だったのです。
「雪国」でも「坊つちやん」でも「源氏物語」でも「ノルウェイの森」でもなく、五・七・五・七・七にあらゆるこころを織り込んだ短い詩、和歌こそが日本人の文学だったのです!
ぎゅーんと言魂がしゃうとするのです!

えーむちゃくちゃ言ってますねwまぁでもそれぐらい目から鱗だったってことですわ。

奈良に都があった時代の「万葉集」では、じつはまだ日本語を表す文字がなかったので、中国由来の漢字をあて字に使っていたとか。
これがいわゆる万葉仮名とか「変体仮名」ヘンタイすぎてわたしのような凡人には読めませんが、そこから発展して「かな」という独自の表記文字が生まれたというわけです。

日本独自の文化が熟成されたという平安期に生まれた「かな」や、「和歌」(やまとうた)は、「大和絵」(やまとえ)と同じく、日本独特の美意識の源泉なのだろうと思うと胸アツわくわくしまする。
という意味不明なモチベーションを持って、来年の墨絵アートてぬぐいはより雅にいきたいなぁ。

朱美鳥2.jpg

来上がり次第随時お納めしておりますが、手描きですので数に限りがございます、予めご了承ください。

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墨絵アートてぬぐいにつきまして、詳細は以前の記事をご覧下さい
朱鳥さま 墨絵アートてぬぐいのご案内

月与志|手描き墨絵てぬぐい


181203_さざんか.jpg

花枯れる季節の今、驚くほど花盛りなのが、さざんか。
よく見るとバラのような豪奢さもありますね。
椿とほとんど見分けがつきませぬ(´ω`)

冬は梅、そして春の桜を描くのが今から待ち遠しいです。

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2018年12月04日

感想:東山魁夷展 at京都近代美術館〜美しすぎる障壁画の世界

私がかつて見た中で最も美しいと思う日本画の一つは…東山魁夷先生の描かれた「海」
随分前になりますが、奈良の唐招提寺御影堂で拝見した、鑑真和上をお慰めするために描かれたという、美しく穏やかな緑の海と、静けさが伝わってくる深山を描いた障壁画です。

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その感動を再びかみしめるため足を運びました。
生誕110年 東山魁夷展 at京都近代美術館

今回は美術館で拝見したためより客観的にじっくり鑑賞できました、そして昔は気づかなかった「鑑真和上の故郷中国を描いた水墨画」の魅力について感想を述べますね。


【東山魁夷画伯の作品世界】
東山魁夷画伯といえば大変著名な日本画家。香川を旅した時とか今まで何度か絵を拝見する機会はあったのですが、改めてその全容を知る事となりました。
生涯をかけて描きつづけた美しい自然風景。それは「単純化→抽象化→普遍性の獲得」であると感得いたしました。

私らしくない固い文面ですね〜(´ω`)まーびっくりするぐらい整った風景画だなーという印象ですね。
私も2018年は風景を描く事に意欲を燃やしていたところで、この広大な「自然」にどう向き合って描くのかを求めて訪れたのですが…。
その答えは、まるで抽象絵画のような風景画、描ききれない複雑混沌とした自然を単純化し、そこに普遍的美を見いだす、という絵でした。
(よくよく見るとただ単純なリピートではなく、時折その反復の和を乱す要素が入っているのがミソですねぇ)

国民的画家と呼ばれたという画伯の代表作が、日本の何処にでもありそうなごく普通の草むらの絵だったりするのが素晴らしいです。

もう一つの特長としましては、単一の色で描かれている、夕景・夜景が多い、季節では晩秋とか厳寒の冬の絵がほとんどのような印象でした。
北欧に惹かれて旅をして神秘的な作品を残しておられたり…暗い・冷たい・寂しいのがお好きだったのかなと。
音楽で言えば短調(マイナー調)ですかね、確かにそういうの心に染みるナー。

風景画は心の投影、という事でした。
こういうのって作家の内なる何かなんですかね?南方の明るさに惹かれたゴーギャンや田中一村と比較すると興味深いです。


【唐招提寺障壁画】
魁夷画伯の作品世界を巡った後はいよいよ障壁画です。
こちらは先生熟年期の1970年代にほぼ10年がかりで制作されたという大作。

唐招提寺 御影堂は平成大修理中でしばらくはお目にかかれないのだけれど、この障壁画はやはり鑑真和上像とともにあることで特別な意味を持ち、深い感動を与えてくれます。
とはいえ美術館で拝見するのだから一枚の絵として鑑賞・客観的に分析するのもひとつの経験でした(いろいろテクをみつけてきましたとも、ええ)

とはいいながら、仏教美術をそのような目で見る事にやましさを感じるのも事実です、仏像をプロダクトデザインとして見ているワタシ罰当たり。(以後、不遜な発言はご容赦ください)

まずは再びお目にかかれた、魁夷画伯の暖かく穏やかな海に感動を禁じ得ません。
盲目の鑑真和上に穏やかな日本の海をお見せしたいと、先生自ら日本各地の海を写生する旅に出てついに普遍的な日本の海を描きあげたというエピをもし知らなかったとしても、この美しさは響きますよね。

海の波打つ音が穏やかだけど力強く響いてくるかのような「濤声」と呼応するように、深い山奥の霊気を描いた「山雲」こちらはしんと静まりかえった静寂、夏でも凍えるような冷たさと神秘性を感じさせます。
不思議な事に何処から鳥の声まで響いてくるような…と思ったら、さりげなく雲雀が描かれておりました。

今流行りの360度VR映像なら、触ると飛んでいきそうですね(触っちゃ駄目ですが)
それにしてもVR以上にリアリティのある空間が50年前に描かれているなんて。
いやもっと昔から障壁画というヴァーチャルリアリティ空間は日本にあったのですねぇ。

襖絵だからなのか、日本の風景を丹念に描いているからなのか、東洋的な「間」というか、どことなく抜け感があるからなのか、これまで見てきた魁夷先生の作品とはちょっと違う印象です。

その思いは、さらに第二期の障壁画、鑑真和尚の故郷中国の風景を描いた水墨で深まりました。
正直申し上げますと、最初に御影堂を訪れた時には、美しすぎる海と山の色彩にただただ心打たれ、これら水墨の異国風景はスルーしてしまいましたが、今回は違います。

私も水墨を手がける絵師の端くれとしてあれから多少目は肥やしてきました。
逆に言うと、中国の水墨画を知らないと「桂林月宵」や「黄山暁雲」の事はピンと来ないのは仕方ないのかもしれません(いまだそれほどピンとこないワタシ)
そこには中国の水墨を育んだともいう絶景の景勝地、幻想的なそびえ立つ山また山(というか画家の妄想でなく本当にあったのかという)が描かれているという事です。

揚州薫風」は鑑真和尚の故郷だからでしょうか、やさしく暖かくノスタルジックな雰囲気でした。
モノクロの水墨なのに暖かいだなんて?絵に込められたストーリーでそう感じているのでしょうか?
いえ、どうやらそれは全体的にぼんやりした遠い風景として描かれているからでしょう。
ここは美術館なのを幸いに細部まで食い入るように検証したのですが(流石にお寺ではできませぬよ)ディティールをはっきり描かないぼかした味わいが幻想的で、不思議な夢心地を誘うのです。

なるほど、ぼかしが美しいのはまさに水墨画の面目躍如、そしてどちらかといえば冷たく厳しい風景を好んで描いておられた魁夷画伯のいままでとは違う画境を拓いたのではないかな、と。
この時初めて水墨画に挑まれたということです、その切欠になったのが、この大作のため当時は渡航が難しかったという中国を訪れ、水墨画を生んだ中国の風景に触れたからだそうです。

現在、東京でも東山魁夷展が行われ、「美の巨人」でもこの御影堂第二期障壁画を詳しく取り上げてくれたお陰で知りました。
この水墨画は紙に滲み止めを施して描かれているとか…え!?ぼかしてないんかーい(´ω`)という驚き。
墨で描いてもそこは魁夷画伯流の描き方で描いているんですね。
ぼかさずにぼんやりと描きあげた「モノクロームの幻夢」いやーこれ見習いたい(´ω`)

とまぁ、絵描きの性で技術的なところばかりほじくってみっともないですが、やはり大事なのは何が描かれているか、こころで感じ取ることですよね。
穏やかな海と、静かな深山、日本の普遍的な美しい風景に磨き上げられた画面や、異国の風景には、その土地の空気感や過ぎ去った時間まで息づいているような気がします。
それを綿密な写生の積み重ねで実現しているという事実に、深い畏敬の念を抱きます。

ところで、この御影堂障壁画に取り組んでいる同じ時期に、魁夷画伯は好んでファンタジックな白馬を描いていたのだそうです。いったいどういった心の現れだったのか、絵画芸術は本当に奥深いですね。

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京近美2018日本画の巨匠たちシリーズ(勝手に命名)
次は、生誕150年〜横山大観展のお話です。こちらはおもしろおかしく書く予定(やめなさい)

感想:藤田嗣治展 at京都国立近代美術館〜乳白色の夢・戦争・祈り

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2018年12月03日

感想:ぱないの!西尾維新大辞展〜京都篇 at京都府京都文化博物館

普段小説とか読まないので、小説家の展覧会というものには興味はなかったのだけれど、というか小説家の展覧会って何だ?という興味のほうが強かったのだけれど、NISIOISINという点対称で回文のようなペンネームも知らなかったのだけれど、毒舌ヒロインが魅力的な「物語」は良く知っていたので、ガハラさんにお勧めされれば(CM)みにいかないわけにはいかない。

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そもそもこの数十年小説など読む暇はなかったのだけれど、その「物語」は非常に洗練された映像とスタイリッシュな演出で、映像世代のわたしはとても魅了されているのだ。
そうわたしはポスト映画〜ビデヲ世代なので、百の言葉より雄弁なワンシーン、言葉では伝わらないビジュアル言語を長く信奉してきた。いまさら小説などに立ち戻ることはないだろう。

シャフト新房監督が演出するその「物語」は、圧倒的映像言語で2010年代のアニメシーンを席巻した「まど☆マギ」以上の魅力が確かにある、それは原作であろう圧倒的な言葉の強度だ。言葉あそび・再現不能な言葉の羅列を映像に翻訳する演出は丁々発止の危うい面白さがある。
そんな原作はどのような世界だろうか、と何度か思うことがあるが、今までノベルを開くことはなかった。なにしろアニメ至上主義なのだから。

それが今日、東山魁夷展で目も心も十分潤った後に、なぜか小説家の展覧会に足を運んでしまっていた。
そこでは言葉が宙を舞い、映像とリンクし、イラストと共存し、タイプライターが独りでに言葉を紡ぎ、声優のイケボが女子を魅了する、まったく想定外の展示だった。

まったくこれでは、小説、ライトノベルの(というのだろうか?)イメージを改めねばならないだろう。

生まれてこの方小説を読んだことのないわたしが、初めて手を取るのは、忘却探偵なのか、延々と続く戯れ事なのか、終わらない「物語」なのか(でも終物語)
そもそも難しい言葉が苦手で、長い文章は退屈だから近頃はSNSの投稿も極めて簡略化しているというのに、なんということだ。こんな駄文を書いてしまって無駄無駄無駄ぁな時間を過ごしてしまった。

平安京が巨大な京Rコードだという壮大なヲチで西尾維新大辞展は幕を閉じた。グッズを一切買わない主義のわたしはおよびでない客だったことだろう。でも、素直におもしろかったなぁ(´ω`)

→西尾維新大辞展
http://exhibition.ni.siois.in

またまた不遜な駄文を書いてしまいました、西尾先生ごめんなさい〜<(_ _)>

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